世界の中心で愛を叫んだ観鈴?
出崎統版Airを今更ながら見ました。本当に今更ですね。
「映画というジャンルの90分という限られた時間芸術のひとつの完成形」とパンフレットにあったそうですが、確かにそんな気がします。
実は私はPC版のAirをやったことがありません。京都アニメーション版のAirを見て
感動したクチなんですが、出崎版は全く違う作品ですね。
出崎版には私がずっと京都アニメーション版に感じていた違和感が全くないのです。なんていうか、観鈴たちがより人間くさくていい感じです。ってゆーより漫画っぽくなくて、というほうが通じるでしょうか?
ネットをぐぐると賛否両論あるようですが、どっちが泣けるか?、と聞かれれば「京都アニメーション版」と答えますが、どっちが好きか?、と聞かれれば「出崎統版」ですね。価値基準が異なるものだと思われます。
もうホント今更ながら、という感じなので結末も書きますが、最後のシーン、残された国崎君が旅を続けていくところが好きです。全く救われないお話なのですが救われています。この取って付けたようなシーンでギリギリのところで救われているのです。この意味が通じるでしょうか?
そしてこのカタチで救われているこの物語はAirではないのです。こんな物語があってもいいでしょう。